「和の国」日本<育心タイムズ125号>

日本の縄文時代が今、世界から注目されています。例えば縄文時代の土器「縄文土器」が作られたのは、今から14500年前からです。では日本以外の地域で土器が作られたのはというと、9000年前からなのです。日本の方がずっと早い。その上、作られた土器は質・量ともに他の地域・時代のものと比べても際立っているそうです。歴史の授業では、まず四大文明(メソポタミア・エジプト・インダス・中国)が生まれ、日本はその中国文明から学んだとされていますが、この土器一つとっても、日本の縄文時代は独特の文化が存在したと言えるようです。

石器時代、人類は狩猟・採集による移動生活をしていましたが、12000年前から農耕・牧畜を始め、それが四大文明につながっていきます。しかし、15000年前から始まる日本の縄文時代では、狩猟・採集のまま、定住生活を始めます。そこで農耕・牧畜が始まるまでの10000年間同じような生活が維持されているのです。まさに今の世界がめざす「持続可能な社会」が実現していたのです。ではどのように「持続可能な社会」が生まれたのでしょうか。

縄文時代の人々は、自然の恵みを「旬」を知って採っていたようです。春はワラビ・ゼンマイ・シジミ・ハマグリ・イワシ・ニシン、夏はアジ・サバ・クロダイ、秋はサケ・ブリ・クルミ・シイ、冬はキジ・ヤマドリ・カモ・イノシシ・・・縄文時代の貝塚から発見されたこれら数百種類の食材に対して、どこで採れるのか、いつが旬なのか、どう料理するのかを考えながら食べていました。そこに縄文土器が誕生し、煮炊きができるようになると、木の実のアクを抜いたり、植物の根や茎をやわらかくしたり、魚や獣の肉に熱を通すことで腐るのを防げるようになりました。当然土器は保存容器としても利用され、定住生活にはなくてはならないものとなっていきます。一言で狩猟・採集の生活と言っても、麦だけを植え・羊や牛だけを育てる世界各地の農耕・牧畜より、はるかに大きな知識と知恵を使って生活していたのです。

やがて縄文人は、「夏が終われば秋の山野の恵みが、冬が終われば春の食物が現れる。人間はこのような終わりのない自然界の恵みによって生かされている存在なのだ。」と考えるようになります。獣も魚も貝も木も草も人間も、自然界の一部分。そして自然界の命を少しだけいただいて自分たちは生きている。とすれば、魚をとりつくしたり、獣を小さいうちに食べてしまうことは、縄文人にとっては考えられないことになったのです。自然と共生する生命観が生まれたのでしょう。それが「持続可能な社会」の出現であり、共生する世界観は、人間の生活においても生かされ、「和の精神」につながったのだろうと考えることができます。

ラグビーが盛り上がりました。日本チームすばらしかったですね。顔を見れば日本人か?と思う選手たちが語る言葉の一つ一つに和の精神を感じたのは私だけではないでしょう。そして日本人の素晴らしさを世界中の人々が感じた大会でした。まさに「One Team」の世界です。来年のオリンピックもこうあってほしいなあと思います。そして、「和の国」日本の精神が世界に広がっていけば、もっともっといい世の中になるのではないかと私は考えています。
(伊勢雅臣著「日本が知らない日本②」を引用し大谷が解釈して書いた文書です)

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