育心タイムズ

塾通信「育心タイムズ」の最初の記事をご紹介しています。
「心の成長」を願って書いているものです。
ご感想をお寄せください。

子ども達に語り聞かせています

取り組んではいけない勉強方法<育心タイムズ123号>

知人に紹介されて、『「勉強」のキホン』という本を読みました。塾を営んでいる筆者が、日頃指導していることをまとめたものですが、とても納得できる内容でした。「小学生のうちに身につけたい!」と副題がついているだけに、小学生の勉強方法が書いてあります。ぜひ小学生の親御さんに読んでほしいな~と思いました。
ここでは、中学生が定期テストのときに「取り組んではいけない危険な勉強方法」という項目がありましたので、少し紹介します。

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1.教科書まとめ勉強

危険な勉強法の筆頭は「教科書まとめ勉強」です。

この勉強法の危険なところは、取り組むべき人が取り組めば、しっかりと成果が出てしまうところです。ですが、世の中の大半の子どもたちは、これで成果を出すことはできません。

それはなぜか?
「教科書まとめ勉強」は、一見誰もができそうに見えて、実はとても高度な勉強法だからです。
教科書まとめ勉強で行われている作業は、
①教科書を読んで理解し ②脳内で要点を整理して ③ノートに要点を再配置する
という内容です。こんな高度な勉強をちゃんとやれるのは、40人クラスで2人いたらいいほうです。これをクラス全員にやらせようものなら、要点がどこかわからず、要点整理も要点の再配置もできず、大半の生徒が「ただの教科書丸写し」になります。

また危険なことに、この勉強をすると〝がんばった風なきれいなノート″ができ上がってしまうのです。「おお、美しいノートができた。ウットリする。がんばっちゃったなぁ~」と、多くの子が勘違いしてしまいます。ノートにまとめることを通して、頭の中に勉強内容を入れることが目的なのに、いつの間にか、きれいなノートを完成させることが目的になってしまうのです。

さらに短所を挙げると、教科書まとめ勉強はとにかく時間がかかります。
この勉強法でも成果を出せる一握りの優秀な子は、〝本当の意味で密度の濃い″圧倒的な勉強時間を確保しています。つまり、まとめ勉強に時間を大きく割(さ)いてなお、問題演習にも時間を割くことができるほどの勉強量をこなしているのです。ただ、ここを勘違いして、さほど勉強時間を確保していない子がまとめ勉強に取り組むと、その作業に時間をかけ過ぎて問題演習に時間が割けず、テスト結果は悲(ひ)惨(さん)なものになるばかりです。誰が何といおうと、「教科書まとめ勉強」はやめておきましょう。

 

2.調べて埋める勉強

社会の問題演習時などに多いのですが、「教科書を見ながら問題集を解く」という方法を取っている生徒がいます。教科書を横に置き、問題集の1問1問をすべて調べて埋めていくのです。この勉強をする子はもれなく高得点が取れません。あたりまえですよね。この作業の最中、脳ははぼ動いていませんから。ただの「教科書答え探しゲーム」「穴埋め語句探しゲーム」になってしまうからです。

これは絶対にダメです。
「調べて埋める勉強」をした子に、すぐに同じ問題を再度やらせてみても、全然できません。
「調べて埋める勉強」をしがちな子は、自分のできない姿を見たくない「完璧主義」の傾向があるようです。実力で取り組んで、チェックマークでいっぱいになったボロボロの問題集を見たくないのです。かといって、正答が増えるように、事前に「覚える勉強」に取り組むのも嫌(いや)なのです。

もしくは、「勉強に疲れたから、脳を動かさずに勉強風のことでお茶を濁したい」というのが案外本音だったりするのでしょうか。また単純に、正しい勉強法だと信じて、取り組んでいる子もいますね。

わからない問題を調べるのと、すべての問題を調べて埋めるのは、まったく別の作業です。
調べて埋める勉強をするお子さんを見たら、すぐに止めてあげてください。そして、「覚えるなら覚える。解くなら解く。混ぜない!」と伝えてあげてください。「覚える勉強」と「解く勉強」を混ぜてはいけません。危険です。

 

3.ながめ勉強

ここでいう「ながめ勉強」とは、教科書を読み続けるだけの勉強法です。勉強時にペンを握らず「見る」だけで、テスト本番を迎えてしまうのです。

これまた、とても危険です。危険な理由はただ1つ。
覚えるべき内容が頭の中に入ったかどうか、本人も含めて誰にも判断ができないからです。多少頭に入っていたとしても、テストで問われるレベルまで到達しているのかどうか、これもテストをやってみるまでわかりません。ながめて覚えるだけですべてが解決するならば、世の中に問題集もノートも存在しないでしょう。

ながめ勉強に取り組みがちなのは、ある程度結果を出してしまう、そこそこ能力の高い子です。ある程度結果を出してしまっているからこそ、この勉強法を続けてしまいます。書くよりも手間と時間を短縮できるので、効率がいいと思うのでしょう。とはいえ、先ほどの短所が足を引っ張って必ず伸び悩みます。

また、勉強が大嫌いな子もこの勉強法をしたがります。サボろうと思えば、どこまでもサボれてしまうからです。真剣に覚えようと必死で教科書を読んでいる姿も、他の事を考えながら教科書をながめている姿も、外から見たら一緒ですからね。

「見て覚える勉強」と「問題を解く勉強」は必ずセットです。お子さんが、見て覚える勉強だけで終えようとしているときには、必ずストップをかけてあげてください。

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こんな勉強方法をとっている人はいませんか?思い当たることがあれば、すぐに直していきましょうね。何事も人の意見を聞いて素直に実行してみることが一番大切ですよ!

運が〈いい〉〈悪い〉 <育心タイムズ122号>

喜多川泰さんの新刊「運転者」を読みました。たくさんの学びがありました。皆さんにも少しお裾(すそ)分(わ)けします。

主人公の岡田修一は不思議なタクシーに乗り、その運転手と会話します。

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「あなたは運がいい方ですか? それとも・・・・・・」
「運がいい人生なんて俺(おれ)の人生とは無(む)縁(えん)だね。ついていないことばっかりだ」
「そうですか。そんな人の運を変えるのが僕の仕事です」
「どんな仕事だよ、それ」
「だから、最初から言っているじゃないですか。私はあなたの運転手だって」

(中略)

「本当は〈運〉にいいも悪いもないんですよ」
「なんだって?」
「だから、運がいい人なんていないし、運が悪い人なんていない。運はそういうものじゃないんですよ」
「そんなことはないだろう。現に俺にはついてないことばかり起こるし、運がいい奴(やつ)はついてることばかり起こるじゃないか」
「ハハハ」

運転手は乾(かわ)いた笑い声を上げた。

「まさか本気でそう思ってるんじゃないですよね」

修一は運転手の態度が少し頭に来て、眉(み)間(けん)にしわを寄せた。
「岡田さんが言う、ついてることばかりが起こる奴って、何もしないでいいことばかりが起こってるって思ってるんですか」
「な……」
修一は思わず固まってしまった。
「いや、そうは思わないが、同じように頑張ってるのにいいことばかりが起こる奴と、そうじゃない奴がいるだろって話をしているんだよ」
「じゃあ、岡田さんは、いいことばかりが起こる奴と同じくらい頑張ってるのに、自分にはいいことが起こらないと?」
「俺の話じゃなくて一般的にそういうことってあるだろって話をしてるんだよ」
「ないですね」
運転手は断言した。

「いいですか、岡田さん。運は後(あと)払(ばら)いです。何もしてないのにいいことが起こったりしないんです。ポイント貯(た)めてないのに何かもらえますか? 誰(だれ)もそんなこと、期待しないでしょ。でも、運となると、貯めてない人ほど期待するんですよね」

修一は、自分の手元にあるポイントカードを見つめた。
「そのポイントカードは五百円の商品券として使えるんです。どうしてかわかりますか?ポイントが貯まってるからです。ポイントカードをもらった瞬(しゆん)間(かん)に五百円として使わせてもらって、あとからポイントを貯めるってことがありますか? そんな使い方できるポイントカードなんてないですよ。運だって同じなんです。でも、多くの人は『運がいい』と言うとき、その前のことをまったく無視して、突然いいことが起こることのように期待してるでしょ」

「運はこのポイントカードといっしょだって言うのか?」
「そうですよ。運は〈いい〉か〈悪い〉で表現するものじゃないんですよ。〈使う〉〈貯める〉で表現するものなんです。だから先に〈貯める〉があって、ある程度貯まったら〈使う〉ができる。少し貯めてはすぐ使う人もいれば、大きく貯めてから大きく使う人もいる。そのあたりは人によって違いますけどね。どちらにしても周囲から〈運がいい〉と思われている人は、貯まったから使っただけです」

修一はポイントカードを見つめながら、運転手の言葉を反(はん)芻(すう)していた。
「運はいい悪いじゃなく、使う、貯める……」
「貯めてないのに、使えないぞって文句言われてもお店は困っちゃうでしょ。運もそうなんですけど、貯めてもいないのに『使えないぞ』『あいつばかりずるいぞ』って言う人、多いんですよね」
「じゃあ、ついてる奴は、そうじゃない奴と同じように頑張っているように見えて、実は運を貯めてたってことか?」
「そうですよ。貯まった運を使うとき、周りから『ついてる』って見えてるだけです」

修一は険しい表情で腕を組んだ。運転手が言っていることに「なるほど」と納(なつ)得(とく)している自分と「そんなこと認めてたまるか」と反発している自分が心の中で葛(かつ)藤(とう)していた。

(中略)

「岡田さん、種から野菜を育てたことがありますか?」
「え? 野菜? ないけど……」
「たとえばニンジンなら、春のまだ暖かくなる少し前に種を植えます。そこから育ててニンジンとして収(しゆう)穫(かく)できるのはいつ頃かご存じですか?」
「さあ、五ヵ月くらい先?」
「わかってるじゃないですか。僕はてっきり『その日』とか言うんじゃないかと思っていましたよ」
「そこまでバカじゃないだろ」
「ええ。もちろん冗談です。でも、僕たちは仕事の成果とか努力の成果ということになると、その『バカなこと』を期待していると思いませんか?」
「今、頑張っているんだから、今すぐ結果が出てほしいと思っているということか」

「はい。でも、なかなか結果が出ないと言って苦しんでいるんです。人によっては自分は運が悪いとか思い始めます。頑張ってるのに報われないって言う人はみんな、種を蒔(ま)いてそれを育てているんですが、ちゃんとした収穫時期の前に『まだ育たない』と言って嘆(なげ)いているようなもんです。もっと長い目で見たら、報(むく)われない努力なんてないんですよ。あまりにも短い期間の努力で結果が出ることを期待しすぎているだけです。今日頑張って明日実になるなんてどんなに早く育つ種でも無理なことですよ」

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塾での勉強も、ここでのお話とよく似ているところがあります。がんばってもがんばっても成果が出ないことも実際あります。勉強のやり方が悪い場合は、ご両親や私に聞いて、新しい取り組みを進めていく必要があります。

しかしちゃんとしたやり方をしていても、なかなか成果が出ない場合もあるのです。でも、そこであきらめるのでなく、ああ~今はポイントをためている時期なんだ、と自分に言い聞かせ、地道な努力を続けていきましょう。必ずやそれはあなたの人生においてよい結果をもたらせてくれるのですから。そう信じることも大切です。

相手を知って己を知る<育心タイムズ121号>

小惑星探査機「はやぶさ2」は2014年12月3日に約3億km離れたリュウグウに向けて打ち上げらました。リュウグウに接地(タッチダウン)し、岩石のサンプルを採取して地球に帰還する計画です。

そして2019年2月22日「はやぶさ2」は、リュウグウの中心から約20km上空のホームポジションの位置から、タッチダウンの運用を開始し、見事に成功を収めました。

計画段階では100m四方の平らな場所にむけてタッチダウンを実施する予定だったのです。しかし、リュウグウに到着して観察してみると、表面は岩石が多く、凸凹しており、結局6m四方の場所にピンポイントでタッチダウンしなければならないことが分かりました。100m→6mですから、それだけ考えても、どれだけ難しい運用が必要になったか分かります。しかも、地球から「はやぶさ2」に指令を出しても、その電波が届くのに20分ほどかかります。指令を「はやぶさ2」が受けとって、正常に動いたとしても、その確認を知らせる電波は地球に20分しなければ、届きません。つまり、地球側で、「こうしよう!」と思っても、その結果は40分後でないと分からない、そんな遠い遠い場所でのタッチダウンなのです。なんと難しい運用だったことでしょうか。

成功を発表する記者会見の中で、私はJAXA(宇宙航空研究開発機構)の久保田孝・研究総主幹と吉川真・ミッションマネージャーの、想いのこもった言葉を聞きました。

「はやつーくん、よくやってくれた! ありがとう!!」

はやぶさ2のことを「はやつーくん」と呼んでいたようですが、子どものように可愛がっていたのが分かります。

そして、「完璧な成功を収めた要因は何でしょうか?」という質問に対して

「リュウグウに行って、安全なところがあんまりないということが分かって、そこから挑戦が始まった。リハーサルを繰り返して、運用者が熟練した。その間に、いろいろな写真を撮って、タッチダウン地点の詳細な地形をとることができた。練習の中で、探査機の挙動が十分に把握できた。
小惑星リュウグウという相手をよく知って、
探査機の能力精度を十分分かるということは、己を知ったということ。それで作戦を立てて、探査機の運用者も熟練したことがすべてそろって6メートルに行けた。
それが成功の秘訣かなと思います。

いかに事前に準備をしておくかということだと思う。」

「相手を知って己を知れば百戦して危うからず」(敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない。)は中国の故事として有名な「孫子の兵法」です。その言葉を引用して、リュウグウという相手を知って、「はやぶさ2」という自分を知り、その上で作戦を立て、熟練してから臨んだから成功した、そう言っているのです。私は、それを聞いて、ああ~ためになるなあ~みんなに伝えたいなあ~と思いました。

みんなの勉強も同じです。

「相手を知る」とは、英語や数学の教科特性を知るということ。自分で研究するのもいいのですが、育心にはその教科特性を知りつくした大谷という人間がいるのですから、どんどん聞いてもらったらいいです。簡単に言えば、大谷の指示通りに「素直に」勉強していけば、相手を知ることに通じると思ってもらえればいい。

「己を知る」とは、自分で問題を解くときに、どこで間違うのか、何に時間がかかっているのかなどを、いつも意識していくことです。例えば、定期テスト対策で、学校の問題集を提出するために、とにかく一度解けばいいんだと思ってやっている人と、自分が間違った問題を確認するために、二度三度とやっている人では、「己を知る」度合いはまったくちがうのです。

そして大きなチャレンジ(例えば高校入試)に向かうときには、「相手を知って己を知った」上で、作戦を練り、熟練していくことが必要だと、教えてくれています。

そして、直前に大きなプログラムの書き換えも行ったことに対して、こんなことも言っておられました。

「慎重にそして大胆にチャレンジする。慎重と臆病とはちがう。何が起こっても対応できる準備をしていた。」

慎重と臆病とはちがう。その通りだと思います。みんなも、いろいろなことに大いに挑戦してほしいと思います。その時には、どんなことが起こっても対応できるよう、「相手を知って己を知り」十分に熟練してチャレンジしてください。

何のために?<育心タイムズ119号>

先日、地震で倒れた書架に詰め込んでいただけの本を整理しました。懐かしい本がたくさん出てきました。その中に、中村文昭さんの本があり、読みふけっていました。中村さんは

・人に頼まれたら0.2秒でハイと言え
・頼まれごとは試されごと
・できない理由を言うな
・今できることをやれ

という四つの心の柱を持っています。そしていつも「何のために」を考えている人です。

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美容師になりたいと思っている女の子がいたとします。
そのときいちばん大切なのは、「何のために?」という夢の根っこにある問いかけです。

美容師になりたいと言えば、親が美容学校の学費を出してくれるでしょう。学校である以上、高校の延長のようなものですから、行けば友だちもいるし、多くの人は、ここは難なくクリアできます。

大変なことだらけなのは、卒業して国家資格を取ることではなく、実際サロンに勤め出してから。美容師というのはしんどい仕事で、立ち仕事で足はむくむく肩は凝る、シャンプーばかりさせられて腰は痛むわ、あかぎれだらけで手はボロボロになるわ、きれいにマニキュアしていた自慢の指は、皮膚がバクッと割れて血まみれになるかもしれません。

「何のために?」がなく、フーっと憧れだけできた子は、ここで夢からすべり落ちてしまいます。ドロップアウトで試合終了です。

ここをなんとか、ふんばった子に、次に訪れる試練は、「人と比べること」。
「今度の週末、合コンするんだけど都合どう?」などというメールが高校時代の友だちから来ると、とたんに「私ばっかりスパイラル」にはまり込みます。いいなあ、みんなは。おしゃれして、爪伸ばして、合コンして。私なんか手は悲惨だし、土日なんか絶対、休めない。それどころか閉店してから掃除して、夜十一時までカットの練習だ……。

こう考えていくと「私ばっかりしんどい思いをして、バカみたい」となります。人間の悩みの大半は他人との比較ですから、人を意識している限り、悩みというのは解決しません。
「私って、友だちと比べたら不幸のどん底。私ばっかり苦労してる」と思い始めた女の子は、数か月もたたずに、サロンを辞めてしまうでしょう。美容学校に行った二年間も無駄になります。こんな話は、そこらじゅうに転がっています。

美容師に限らず、単なる憧れだけでスタートを切ると、どんな夢でも永久にタマゴのままになってしまうのです。悪くするとグシャリと割れてしまうかもしれません。

しかし、「何のために」が根っこにある子は、まるで違う道を行きます。「美容師になるのは、自分のセンスでお客さんをきれいにして、幸せな気持ちになってもらうため」こんなふうに心のスイッチがONになっている子は、シャンプーをしすぎてあかぎれらけのボロボロになった手を、「美容師の勲章」だと思っています。

店長も先輩の美容師さんも、みんなこの道を通って、しんどい時期を経験しているから、かっこいい今がある。そう思えば、合コンのメールが来ても「どうぞどうぞ。みんなは好きに遊んでて。私はその間、一人前になるよう頑張って、どんどん夢に近づいているから」と腹をくくっています。やせ我慢でもなんでもなくそう思える素直さがあれば、どんな教えもスコスコ吸収できてしまいます。

そのうえで、「何を言われても返事は0.2秒」と決めると、次のドアが開きます。たいていの人は何か用事を言いつけられると、まず損得を考えます。「この仕事はラクか大変か? 自分の将来にプラスになるかどうか?」などと思い巡らすと、0.2秒で「はい!」とは言えないはずです。

損得で動く人がほとんどのなか、いかなるときも0.2秒の返事をしていれば、「なんて素直な子だろう」と店長は思います。「君は返事がいいね」と言ってくれるかもしれません。そのときのために、用意しておく返事があります。
「私はあなたに対して、ノーはありません」

何もできない自分は、あなたから知識を授かり、学び、技術を教えていただく。それでようやく成長していける。そんな相手に「ノー」という返事など存在しない……。この姿勢で真摯に店長に向かっていけば、「なんとしてでもこの子を育ててやろう。あらゆる経験をさせ、一人前にしてやろう」と応援してくれるでしょう。

若いうちは独学で成長することは不可能ですから、先輩や大人から手を差し伸べてもらわねばなりません。差し伸べてくれる手の握力が、ガチッと力強いものなら、美容師人生は二倍速の早回し。成長の速度はぐんとアップします。

覚えておいてほしいことは、まだあります。「頼まれごとは試されごと」というおまじないです。0.2秒で返事をした瞬間、反射的にこれを唱えることをクセにします。

「フロアの掃除をしておいて」と店長に頼まれた0.2秒後には「はいー」と返事をし、「頼まれごとは試されごと」とおまじないをつぶやくのです。「今、私を試していますね。頼まれごとは試されごと。見ていてください。あなたが思ってもいなかった速さで、あなたが思っている以上にピカピカに、このフロアを磨き上げてみせます!私の仕事は、あなたの予測を上回ることです」

どんな雑用だろうと使い走りだろうと、すべてこの心意気で、一生懸命やるのです。何も考えずにただモップを握る人より、ずっときれいに掃除ができるでしょう。この気持ちは必ず相手に伝わります。店長はできる・できないにかかわらず、あれこれ頼んでみたい、こいつにやらせてやろうと思うでしょう。すると多くの経験ができ、さらに先輩たちにも応援してもらえますから、成長は三倍速になるのです。
(中村文昭著『人生の「師匠」をつくれ!』から引用)

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将来の仕事の話になりましたが、皆さんは何のために勉強しているんだろうか?と言い換えていいでしょう。どうですか?

方程式を解くために勉強しているのですか? それとも英語を話すために勉強しているのですか? 1600年何があったか即答するために勉強しているのですか?

そんなの全然関係ないのです。でもね、それを全力でやる、中村さんの言葉を借りるなら「頼まれごとは試されごと」と思ってやることによって、いろいろな底力が自分の中についてくるのです。それは皆さんが将来、「人のお役に立ちたい。人に喜んでもらいたい」と思って仕事をするときに、大きな底力になってくるのです。勉強の本当の意味はそんなところにあるのだと私は思っています。

自分の限界をちょっとだけ超える<育心タイムズ117号>

117号(2018年5月14日発行)

イチロー選手が、マリナーズと生涯契約を結びましたね。そして「野球の研究者として生きていきたい」と言っていました。イチローらしい選択じゃないかな~と思います。いつまでも彼の言動は見逃せません。カッコイイし勉強になります。

2016年、イチローは大リーグ通算3000本安打の偉業を達成しました。その年の年末に日本であった少年野球大会の閉会式で、子ども達にあいさつをした彼が言った言葉を紹介します。

「こういうことがあると、たくさんの人から褒めてもらえます。そして、イチローは人の2倍も3倍も頑張っているという人が結構います。でも、そんなことは全くありません」
と首を振りながら話しました。
「人の2倍、3倍、頑張ることってできないよね?みんなも頑張っているから分かると思うけど、頑張るとしたら自分の限界って、わかるよね。その時に自分の中でもう少しだけ頑張ってみる、ということを重ねていってほしい」

この自分の限界をちょっとだけ超えて努力するってことが成長の秘訣なんだと私も思います。

中学生にはいつも定期テストがあります。そこで「自分の限界をちょっとだけ超える」を実戦してみませんか?

ちょっとだけ頑張るっていう意味じゃないですよ。みんな毎回のように、ちょっとだけ頑張ったって思っていますよね。でも成果がもう一つってことが多い。

それは、「自分の限界」って意味が分かっていないからでしょうね。何でもそうですが、「自分の限界」までやったときは、相当しんどいのです。

腕立て伏せや腹筋・背筋をやったことがある人は、分かるでしょう。「自分の限界」の回数に来たときのあのしんどさです。そのしんどさの中で、あと1回だけやってみよう!と回数を重ねることが、「自分の限界をちょっとだけ超える」ってことなんです。相当にしんどいのです。それを毎日の勉強の中で実戦するのですから、結構大変なんです。

・字をきれいに書く
・計算を途中式を飛ばさず、丁寧に丁寧にやる
・be動詞の文章か一般動詞の文章か確認してから問題をやる
・主語の単数複数、現在の文・過去の文・進行形などをしっかり確認する

いろいろな項目について、自分の限界をちょっとだけ超える。その時に成果は生まれてくるのです。頑張っていきましょう。

必要最低限を超える<育心タイムズ116号>

116号(2018年2月22日発行)

(喜多川泰「ソバニイルヨ」から)

勇人(はやと):中学1年生サッカー部。
ユージ:勇人の父親がつくった人工知能付きのロボット。

ある日家に帰った勇人は、サッカーボールや排水管で使う塩化ビニル製の太いパイプ、子どもの頃遊んだ室内用ジャングルジムのフレームなど、ガラクタを集めてつくったロボットが自分の部屋に置いてあるのにびっくりします。すぐに、夏の間3か月アメリカに出張すると言っていた父親の仕業だと気づきます。

正面についているipadを引きはがそうと画面に手を触れたとき、
「AI  UG  を起動しますか? Yes No」と表示され、
Yesに触れた瞬間から、勇人とユージの関係が始まります。ユージは最初は言葉もたどたどしかったのですが、テレビを見て発音の仕方、話し方を学んでいきます。最初はユージのことを邪魔者扱いしていた勇人も、だんだんユージと毎日の出来事を話すようになります。

ユージは「勉強にしても、何にしても必要最低限を超えないと損だ」と言ったが、勇人にはどう考えてもそっちの方が損をしているようにしか思えなかった。「何でだよ」と何度が問いただしてみたが、ユージは「やってみるとわかる」しか言わなくなった。そこで、まず部活でそれをやってみることになった。勉強よりはずっとやる気が出る。

夏休みの部活は8時からなので、それに間に合うように行くつもりの勇人に、ユージは「必要最低限を超えるチャンス。7時に行くといい」と言い、朝6時に勇人をたたき起こした。

・真夏の朝、自転車をこぎ始めると気分がよかった。
・部室の鍵を出してくれた教頭先生に「ありがとうございます」と言うと「朝一番に、元気なあいさつがもらえると、いい一日になりそうですね。ありがとう」と言ってくれた。
・たった一人でグランドに出る。一人でできる練習は限られているがリフティングをして、ドリブル練習をして、シュートしたら自分で取りに行く。すでに汗が噴き出していた。これだけ広いグランドを独り占めにして、それだけで特別な爽快感があった。
・キャプテンの藤倉先輩が来て、「おう。お前、早いな。ちょうどよかった。相手してくれ」とボールを奪い合う練習をあこがれの先輩とできた。
・練習の最後に行うミニゲームではレギュラーチームに入れと藤倉先輩から言われて、アシストを決めた。

勇人は、ユージの言った「必要最低限を超えないと損だ」という言葉を、身をもって実感したのだが、「本当だった」と認めるのはしゃくだった。今日はたまたま・・・との思いが脳裏をよぎり、素直になれなかった。それでも、必要最低限を超えたところに「楽しさ」があるというのは、確かにそうだろうと直感的に感じることができた。

「ユージが勇人に50万あげるって言ったら、勇人どうする。」「そりゃ、もらうけど」「条件が二つある。一つは一年で使い切ること。貯められない。もう一つは、何に使ったかユージに全部報告すること」「それだけでいいの?何に使ってもいいの?」「何に使ってもいい。モンク言わない」「だったらもらう」「話はここから。勇人の報告を聞いて、ユージはその使い道を三つに分けて勇人に教えてあげる」「三つ?」「その使い道を、消費・浪費・投資の三つに分類してあげる」

・消費は、生活する上でどうしても必要なもののために使うこと。
・浪費は、なくてもいいものなのに使っちゃう、いわゆる無駄遣い。
・投資は、今のためじゃなく未来の自分のためになるように使うこと。

「今の自分のことだけ考えると、消費と浪費に全部使えばいいけど、そうすると将来の自分が受け取るものは何もなくなる。そのバランスを考えられるように、ユージがアドバイスをして、次の50万をどう使うか勇人が自分で考える」「次ももらえるの?ほんとにただでもらえるんなら、真剣に考えるけどな」「ほんとにもらえる」「え?」

「ユージからじゃないけど、もらえる。これまでもずっともらってきた」「どういうこと?誰がくれるの?今まで誰もそんなのくれたことないけど……」「50万は、単位が『円』じゃない」「は?」「ユージ、50万あげるって言ったけど、50万円あげるって言ってない」「じゃあ、単位は何なの?」「単位は『分』」「分?」勇人は、拍子抜けしたような声を出した。

「1年間は365日。1日24時間。1時間は60分。全部かけ算をすると……」ユージの胸のタブレットに数字が表示され、勇人がそれを読み上げた。「525600」

「そう。人間は1年生きると、みんな平等に50万分をもらっている。時間は貯められないから、その都度使い切っていくしかない。そして、その使い方は、消費や浪費、そして投資に分類できる。どれも生きていく上で必要な要素ではあるけれども、バランスを考えずに、今の自分の欲求を優先させると、消費と浪費ですべて費やしてしまう。でもそれでは将来得られるものが無くなってしまう。だから、『投資』の時間をしっかり持つことが大事」「なるほどね…」

「で、問題はその先。『投資が大事だ』とわかったときに、だからどうすると考えるか……」「わかってるよユージ。要は、勉強しろってことだろ。勉強しないと将来困るって言いたいんでしょ」ユージは、音を立てながら首を横に振った。「そうは言っていない。投資をしないと、将来得られるものが無くなってしまうって言った。勉強しないと将来困るとは言ってない」「間違えてるの?」「そう。だって『勉強』=『投資』って誰が決めたの?」「え?勉強は投資にならないの?」勇人は驚いて目を見開いた。

「考えてみて。世の中のほとんどの人が小中高と十二年間も朝から夕方まで学校に通って『勉強』するんだよ。勉強している時間がすべて投資になるんだったら、ほとんどの人が、将来手にするものが素晴らしいものになってもおかしくないね。でも、みんな同じ時間だけ『勉強』したにもかかわらず、将来手にするものがまったく違う。つまり勉強をしていたその時間が、浪費になっていた人もいれば、投資になっていた人もいるということ。だから同じ勉強をするなら、『投資』になるようなやり方をした方がいい」

「どんなやり方をしたら、投資したことになるの?」「それはもう知ってるはず」ユージにそう言われて、勇人は遠くを見るようにして考えを巡らせた。「あ!」「思い出した?」

「必要最低限を超えるってこと?」ユージはうなずいた。「勇人、これからも勉強する。その時間は浪費にも投資にもなる。どうせやるなら時間を無駄に使うのはもったいない。そっちの方が損。勉強だけじゃない。何をやろうとするときも必要最低限を超えようとした時間だけが投資になる。つまり将来の財産になるってこと、忘れちゃだめ」

(引用ココまで)---

どう?皆さんの勉強は、投資になっていますか?消費ならまだいいですが、浪費になっていたりして。ちょっと考えてみてください。そして勉強でもスポーツでも音楽でも「必要最低限を超えた」ところにある「楽しさ」に早く気づいてくださいね。
保護者の皆さん、この本、本当に読んでいただきたいと思いました。父親の愛・母親の愛がいっぱい詰まっています。ユージは「勇人にアイを教えるために生まれてきた」とよく言うのです。この「アイ」の意味を知ったとき、泣きますよ! 喜多川さんの人間愛を感じます。

教室の魔法<育心タイムズ114号>

114号(2017年11月16日発行)

私が大好きな先生がいます。香葉村真由美さん。現在福岡県の小学校の先生をしておられます。上は9年前、私が初めて香葉村さんの講演を聴いたとき、あまりの感動に声を出して泣きそうになるのを、口を押さえて我慢している私の写真です。今も主催者のブログにそのまま残っています。このとき以来、私は香葉村さんの大ファンです。今年8月、彼女の初めての本が出版されました。「子どもたちの光るこえ」という本です。その本から、今日は「教室の魔法」という一節を皆さんに紹介します。

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教室には、子どもたちだけが使える魔法があります。それは、友だちの心を開くという魔法です。いまから13年前のこと。担任していた6年3組には、口のきけないさっちゃんという女の子がいました。さっちゃんはおばあちゃんと二人暮らしでした。

さっちゃんが6歳のとき、ご両親はさっちゃんをおばあちゃんに預けて蒸発してしまいました。さっちゃんはそのときのショックから、おばあちゃん以外の人とは話ができなくなったのです。

新しいクラスが始まりました。やっぱりさっちゃんは一人でした。誰に話しかけるわけでもなく、誰からも話しかけられませんでした。さっちゃんはまるで、存在していないかのようでした。私はさっちゃんに尋ねました。
「さっちゃんが話せなくなった理由をみんなにわかってもらいたいんだ。だからみんなに話をしようと思う。いい?」
さっちゃんは、私をしっかり見つめてうなずきました。

小さいときにお父さんとお母さんが突然いなくなってしまったこと。さっちゃんはそのことでとても傷ついたということ。深く傷ついて、こえを出せなくなってしまう「失語症」という病気があるということ。さっちゃんのおばあちゃんは、そんなさっちゃんが大切で、必死で守っておられるということ。

話している間ずっと、教室は沈黙に満ちていました。私は続けました。
「さっちゃんがこのまま一言も話せないでこの学校を卒業していくのは、先生、いやだと思ってる。だからね、みんなにもさっちゃんがどうしたら話せるようになるのか、一緒に考えてほしい」

次の日、子どもたちが考えたアイデアに私は少し驚かされました。彼らはペンとメモをさっちゃんに渡し、そこに自分の気持ちを書いてもらうことにしたのでした。さっちゃんに話をさせようとするのではなく、自分たちがさっちゃんの気持ちを理解しようと考えたのです。

誰かを変えようとするとき、大人はその人を変えよう変えようとしてしまいます。けれども子どもたちは、お話ができないさっちゃんを、そのまま丸ごと、受け止めたのです。

〝そのままでいいよ、さっちゃん。さっちゃんがお話をしないなら、ぼくたちがさっちゃんのこえなきこえを聞こう″これにはすごいなあと思いました。

次の日、ある子の机の上に、さっちゃんのメモが貼られていました。そこには「おはよう」と書かれていました。朝、そのメモを貼られた子どもがさっちゃんのメモに気がつきます。それを見てその子がさっちゃんのところへ走っていき、「さっちゃん。おはよう!」と言いました。

さっちゃんはにっこり笑いました。さっちゃんがはじめてお友だちと話をした瞬間です。私はその光景を見て涙があふれて止まりませんでした。さっちゃんの心が開いた。こえには出さなかったけれど、さっちゃんはどれだけ嬉しかったことでしょう。自分のこえが届いて、お友だちと話すことができた。お友だちと笑い合えた。

私はこのとき、友だちと笑い合えることは当たり前のことではないのだということを、子どもたちから教えてもらいました。お友だちと笑い合えるためには、心が開くことが大切なのです。私はこの瞬間二人の子どものところへ走っていき、思わず二人を抱きしめました。たまらなく愛しかったのです。

それから、さっちゃんのメモは増えていきます。さっちゃんはそれから、毎日メモに一言を書き、全員の子どもたちの机の上に貼っていくようになりました。

3学期が終わりに近づいた頃、さっちゃんがなぜか学校に来なくなりました。しかし、私が気がつくよりも前に、子どもたちはその原因に気づいていました。子どもたちは教えてくれました。
「卒業式の練習が始まったからだよ。名前呼ばれたら、返事せんといかんけん」
そしてこうも言いました。
「先生、勉強やめよう。さっちゃんがどうやったら学校に来るか、みんなで考えよう」
話し合いの末、子どもたちが出した結論に、私はまた驚かされることになります。
「さっちゃんが来られないなら、ぼくたちが行こう。さっちゃんに卒業式のやり方を教えよう」

それから子どもたちは、いくつかのグループに分かれて、何度もさっちゃんの家に行ってくれました。歌を教えるグループ、卒業証書の受け取り方を教えるグループ、どの子どももさっちゃんのために、一生懸命でした。

卒業式の当日。みんなが門のところで待っていると、さっちゃんがしっかりとした足取りでおばあちゃんと一緒にやってきました。

とはいえ、いざ卒業式が始まると私の胸には不安がよぎります。さっちゃんは、練習を重ねたほかのクラスメートと同じようにできるのだろうか。

ふと見ると、そんな私の心配に気づきもしない様子で、さっちゃんはみんなが起立するところで立ち、お辞儀をするところで頭を下げ、みんなが歌うところで(たぶんロパクですが)歌っていました。クラスの子どもたちが教えてくれたからです。私はその光景に感動していました。

そして卒業証書授与。さっちゃんがステージの上に上がってきました。

「さちこさん」

と私が名前を呼んだそのとき、小さい小さいこえでしたが、はっきり聞こえた2文字。

「はい」

さっちゃんのこえです。さっちゃんがこえを出してくれたのです。
はじめて聞いたさっちゃんのこえでした。体育館中がしーんとなりました。

私のクラスの子どもたちが、ポロポロと泣き出しました。さっちゃんのおばあちゃんは両手で顔を覆い、ワンワン泣いていました。見ると、さっちゃんも泣いていました。

お父さんとお母さんがいっペんにいなくなってしまい、悲しい思いをしたさっちゃん。彼女は、こえを出さないことできっと自分を守ってきたのでしょう。でも、そんなさっちゃんが心の扉を開いたのは、たとえどんなことがあってもさっちゃんのことを信じたおばあちゃんと、クラスの子どもたちの力です。信じるという子どもたちの愛情が、さっちゃんの心の扉を開けてくれました。

人は愛でしか変わらないんだということをこのとき教えてくれた子どもたちを、私はいまでも、
心の底から尊敬しています。

未来のためにまく種

私が担任として子どもたちと一緒にいられるのは、長い人生のうちの、わずか1年か2年にすぎません。教師はそんな短い時間でいったい何を教えられるというのか。

きっとそれは〝教える〟というより、その子の中の光に向けて、光を信じて、〝伝える〟ことなのかもしれません。
(引用ココまで)----

私はさっちゃんの頑張りだけでなく、このクラスの子ども達にも拍手を贈りたいです。さっちゃんを支えたのはこのクラスの子ども達の愛情です。そして私の想像ですが、「こうすればいいんじゃないかな~」ってことを勇気を持って言ったり行動してくれる子が、このクラスにいたのです。最初に行動を起こすには、やっぱり勇気がいります。その勇気を生み出す雰囲気もこのクラスは持っていたのでしょう。皆さんも、ちょっとした勇気を持つことで、学校のクラスが大きく変わることがあることを知っておいてくださいね。

「愛でしか人は変わらんとよ」は香葉村さんの口癖です。信念と言ってもいいと思います。彼女の本から私は、同じように子ども達の前に立つ人間として、いろいろなことを学びました。愛情いっぱいで子ども達を育てている彼女の姿は、お父さんお母さんの心にもきっと届くと思います。ぜひ一度手にとってお読みください。

これって不幸でしょうか?

112号(2017年5月18日発行)

名言セラピストとして著名な ひすいこたろう さんの講演を聴きました。その中で、彼は私たちにこう問いかけるのです。

「毎日毎日、勉強ばっかりやらされる子どもは不幸でしょうか?」
「毎日毎日、やりたくない仕事をやらされるサラリーマンは不幸でしょうか?」

私は当然「そりゃ不幸やわ~」と思いました。

これは、2つとも自分のことなんです。そう ひすいこたろう さんは話し始めました。

小さい頃、父親がとても厳しくて、とにかく勉強させられたそうです。日曜日は8時間は勉強しないといけなかった。そして、友達ともあんまり遊ぶことができなかったので、人と話すのが苦手な内向的な子どもとして育っていきます。大学生になってもそれは同じでしたから、面接試験が主流の就職活動なんてできるはずはありません。ある日、親しい友達が、この会社だったら、絶対採用してくれるよっていうので、その会社に受けに行くと、社長さんと会ったとたんに、「君ココで働くか?」と聞かれて「はい。」 これで就職が決まったのですが、実は会社のことなんか何にも調べていないし、どんな仕事をするのかも聞いていないのです。

その会社が彼に与えた仕事は「営業」。その会社の商品を売るために、他のいろいろな会社に行って宣伝をして商品を買ってもらう仕事です。ひすいさんの一番苦手な人と対面しなければいけない仕事です。毎日毎日やりたくない仕事をやらされることになるのです。営業成績も当然ビリ。

ここまで聞いて、私は「やっぱり不幸じゃん」って思っていました。

あるとき、営業先が雑誌でいろいろな商品を通信販売をする通販の会社だったので、どんな商品が売れているのか聞いたそうです。そうすると、雑誌のページによって、1ページで何百万円も売り上げるページもあれば、まったく売れないページもあることを教えてくれたそうです。どうも商品そのものより、言葉や文章に引きつけられているらしいのです。

ひすいさんは考えます。人と話をするのは苦手だけれど、文章を書くのは嫌じゃない。ならば、自分の会社の商品をアピールする文書を作って、それを毎日ファックスで送ろう。そうだ、そこに、人の心がほんわか温かくなるような話も付け加えておこう。そして訪問販売に行くときには、必ずその文書を持って、それを見てもらおう!

これをやり出してから、彼の営業成績はぐんぐん上がっていくのです。なぜならそのファックスに魅力があったからでしょう。

では、ひすいさんはなぜ文章を書くのが嫌じゃなかったのでしょうか? なぜそのファックにいろんな魅力のある話を付け加えることができたのでしょうか? それは、小さい頃厳しい父親によって毎日毎日、勉強させられたおかげで、文章を書くのが得意になっていたからです。そして、本を読むのも好きになっていたのです。だから、今まで読んできた本にはたくさん魅力のある話を見つけて線を引いてありました。

そうなんす。これは「毎日毎日、勉強ばっかりやらされてきた」おかげなのです。

ドイツの詩人ゲーテが一人の女性、シャルロッテに宛てたラブレターが残っています。その数なんと1800通。ビックリしますよね~ ゲーテがあれだけの世界的文豪と言われるようになったのは、この1800通ものラブレターのおかげじゃないかと考えたひすいさんは、このファックスによる営業を1801日続けよう!ゲーテを超えてやるぞ~! 結局書いたファックスは2000枚を越えました。 ひすいさんは言います。

「ゲーテが1800通のラブレターで世界的な文豪になったように、私は2000枚のファックスによって、今皆さんの前でお話ができる作家になれたんです。」

そうなんです。これは「毎日毎日、やりたくない仕事をやらされた」おかげなのです。

人生で起こることは、
すべて最高なのだ!

そんな講演でした。ひすいこたろうさんは

「毎日毎日、勉強ばっかりやらされた私は不幸でしょうか?」
「毎日毎日、やりたくない仕事をやらされた私は不幸でしょうか?」

不幸なんかじゃない。とっても幸せだったんだと言いたかったのですね。

人生は山あり谷ありとよく言いますが、私は谷の方が多いんじゃないかと思うときがあります。頑張っても頑張っても、なかなか思うようにならないものです。でも、自分の人生をふり返ると、谷ばかりではありません。山もちゃんとあります。そして、谷底で学んだことが次の山道を乗り越えさせてくれたこともあります。谷底で悲しい思いをしたからこそ、山頂に登ったときの喜びも一入(ひとしお)だったこともあります。

私の座右の銘(自分の心に留めおいて、戒(いまし)めや励ましとする言葉)は、船井幸雄さんの

必然必要ベストなことがら   です。

自分の目の前に起こることは、

今の自分に起こるべくして起こる(必然な)ことがら
今の自分に必要なことがら
今の自分にベストなことがら

という意味です。だから、目の前に楽しいことが起こっていれば素直に喜べばいい。そして、目の前に起こっていることが、どんなに辛いことであっても、それは私の人生において、必ず意味のあることだと考えて乗り越えていくことにしています。

皆さんも、今がしんどくても、それはきっと将来、自分の成功に役に立つのだと思って、頑張っていってくださいね。

心の天秤

111号(2017年3月6日発行)

(喜多川泰「秘密結社Ladybirdとぼくの6日間」から)

颯汰(そうた)は高校3年生、大学を受験するつもりで、夏休みは塾の夏期講習に参加した。でも実際のところ塾にも行かず、家でぐうたらしているばかり。その日も1分たりとも勉強はしていない。これではいけないと思いながら、また今日も終わっていく。

そんな夏休み、あることがきっかけでとんでもない1週間を過ごすことになります。そして颯汰はいろいろな出会いから、人生を学びます。颯汰が出会ったある中3生の卒業文集の作文をまず紹介します。

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「ふさわしい人」  三年五組 二階堂肇

僕は、正月になると神社で毎年お願いしていることがある。それは、「僕は努力をする。だから、それにふさわしいものを与えてください」という言葉だ。

それ以上でも嫌だ。それ以下でも嫌だ。

自分の努力にふさわしいものが、自分の将来に手に入るそんな生き方をしたい。そして、それが与えられることを信じている。だから、僕はどこまでも、どこまでも頑張る人でいたい。

僕は、自分のやってきたことにふさわしい人になりたい。

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普通、受験生は、自分の努力は棚に上げて結果を求めます。何かの間違いでもいいから受からないかなとか、奇跡が起こって合格できないかなと考えるものです。自分のやってきた努力に見合った結果を与えてくださいなんて念じる人はいません。そんなことしたら不合格になるのは自分自身が一番よく分かっています。

でも、二階堂肇は本気でそれを願っていました。自分がした努力以下の結果しか手に入らないのを嫌うのと同じように、努力以上の結果が手に入るのを嫌っていたのです。長い目で見て、それは自分の将来にマイナスでしかないと彼は分かっていました。

「心の中にいつも天秤を用意しておいて、片方の皿に、志望校合格とか、自分の手に入れたいものを置く。そうして、反対側の皿の上に、努力を積み重ねていく。そうすると、そのふたつが釣り合うときがやってくる。そのとき初めて自分の手に入れたいものが手に入る。」

ほとんどの中高生が、この天秤を用意していないから別のことを期待してしまいます。つまり、片方の皿に置いた手に入れたいものよりも、ずっと小さい努力しか反対の皿に乗せていないのに、これで何とか、手に入らないかなぁって期待してしまうのです。あなたもそんな生き方をしていませんか?

そんな学びを得た颯汰は、中学生の時いつも県の水泳大会で負けていた風太と出会い久しぶりにレースをします。万年2位の颯汰は、高校では水泳部には入っていなかったのです。

風太「全然体力がないのに、よく勝負しろって言うよ。でも、最初の25mは速かったな。正直焦った」

颯汰「まあ、お前に対する礼儀だ。俺、中学のときレースで本気出したことなかったから。まあ、本気出したら勝てたって意味じゃないぜ。そうじゃなく、本気を出しても負けたんだけど、それでも、本気を出さなかったのはお前に対して失礼だったと思ってな。だから、今日のは本気だった……本気でやって、負けた。それを言いたかった」

風太「そうだな。お前いつも本気じゃなかったような気がするよ。だから、俺はレースでお前を見ると、いつも恐かった」

颯汰「恐い?」

風太「ああ。お前はどう見てもセンスの塊みたいな奴だ。俺とは違う。俺は努力で少しずつ成長してあそこまで行った。俺はお前の泳ぎを見ていつも羨ましいと思っていたんだ。俺にあんなセンスがあったら、県だけじゃない。全国でだって勝てるんじゃないかって。だから、レースで会うたびに、お前が本気で練習を積んできてたらどうしよう。今度こそは、『打倒俺』に燃えてきたんじゃないかって、思ってスタート台に立ってたのさ」

颯汰「いらぬ心配だな。そんな根性なかったよ。つらいことから逃げるの専門だもん俺」

風太「それが言える奴は強いよ。みんなそれをごまかして生きてるからな」

颯汰「初めて言った。今までごまかして生きてきたからな。でも、もうやめるわ。逃げるの。だって、かっこわるいもん。負けてもいいから本気でやろうと思う」

目の前のことに、全力で取り組むこと、それ以外に自分の人生を切り拓く方法はないように思いました。でも、そんな生き方は、大人でも難しいものです。逃げることもあるでしょう。

でも、いつもいつも逃げるのではなく、全力でぶちあたる、そういう日々が自分を成長させることを、皆さんにも知ってほしいと私は強く思っています。保護者の皆さんや中学生にはぜひ読んでほしい一冊でした。

「笑顔のために」

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109号(2016年11月18日発行)

人は何のために生きているのでしょうか?

とても大きな質問ですが、皆さんはどう答えますか?

・いい生活をするために

・お金をもうけるために

・スポーツがしたいから

・ゲーム毎日したいから

・将来、外国に住みたいから

・いい車に乗りたいから

・いい家に住みたいから

・旅行に行きたいから

あなたの答えがあったでしょうか?

 

私の答えは「笑顔」のために生きているです。

自分がいつも「笑顔」でいたいと思っているのです。だからそのために頑張って生きています。働いていると言ってもいいでしょう。ただ、人間は一人では生きていけません。いつも私のまわりには、人がいます。まず家族がいます。そして塾に来れば生徒がいます。だから家族が悲しんでいたり、塾生が寂しそうな顔をしていたら、私は「笑顔」にはなれません。

そう考えると、私自身は自分の笑顔のために、独りよがりに生きることはできないのです。家族や塾生の「笑顔」があって、初めて私の「笑顔」があるのです。自分のまわりの「笑顔」が地域社会の「笑顔」につながり、日本の「笑顔」、世界の「笑顔」につながっていけば、平和な世の中になるのでは、と考えています。

だからまずは、自分のまわりが「笑顔」になるような生き方をしたいと思っています。といっても、なかなかうまくできず、独りよがりになりそうな自分を、なにやってんだと叱りながら反省して生きていると言った方がいいかもしれません。

さて、最近読んだ本に、大伴部博麻という飛鳥時代を生きた人の物語がありました。

中学校の歴史の教科書に「朝鮮半島では、唐が新羅と結んで、百済をほろぼしました。663年、日本は百済の復興を助けるため大軍を送りましたが、唐と新羅の連合軍に敗れました」とあります。この「白村江の戦い」に一兵士として参加した博麻は、唐の捕虜になってしまいます。捕虜として唐の都長安に送られた博麻は、ここで日本に帰れなくなった遣唐使4人とともに、抑留生活をおくります。捕虜とはいうものの町を往来することはできたようです。

664年のある日、博麻は聞き捨てならない話を耳にしました。唐が近く日本への侵略を企てているというのです。白村江の戦いで、大陸の戦争の流儀(敵兵だけでなく、女や子どもも容赦なく、惨殺し、すべてを焼き尽くす)を目の当たりにした博麻は思い描きます。

「おそらく、最初の上陸地になる可能性が最も高いところは、わが故郷筑紫国だろう。あの美しい山河が蹂躙され、わが家族、一族、同胞たちが惨たらしく殺されることなど、絶対に容認できるわけがないではないか」

そして「なんとしても、一刻も早く国に知らせなければならない。このままではわが国が滅ぼされてしまう!」と思うのです。そして博麻はここに一大決心をして、4人のもと遣唐使に奇抜な計画を提案します。

 

「私も皆さんも、ともに国に帰還することを願っておりましたが、資金がないためにそれもかないません。どうかお願いでございます。私の身を奴隷として売って、これを帰国の資金とし、国の危機を日本に知らせてください。」

 

博麻が取った行動は、自分の笑顔を犠牲にしてまでも、家族の笑顔・まわりの人々の笑顔を優先したものです。戦いという前提があるにせよ、なかなかできるものではありません。

4人のもと遣唐使は博麻の申し出に驚き、かつ彼の行く末を思うと不憫でなりません。しかし、ほかに方法がないのです。苦渋の決断の末、博麻を売ったお金を旅費として日本への帰国の旅に出ました。『日本書紀』によると664年~671年の間に順次日本に帰ってきたようです。そして朝廷に唐が日本侵略の準備をしていることを報告したのでした。

天智天皇はすでに九州北部に水城や山城を構築して臨戦態勢をとっていましたが、讃岐の屋島や河内、大和にも城を築いて防衛を固めたといいます。結局、唐は新羅とも交戦状態になり、日本には攻めてこなかったのですが、当時の大陸との関係が天皇を中心にした中央集権国家の確立に向けて国づくりが進む大きな原動力になっていたようです。

さて、年月が流れ持統天皇の時代になります。690年日本にやってきた新羅の舟から、一人の初老の男が唐僧に伴われて上陸しました。どうやら、この初老を迎えた農奴が日本人だと知った唐僧が、使節として日本に赴くことになったので、一緒に行こうと連れてきてくれたようです。

唐軍にとらわれて何と27年、博麻が日本に帰ってきたのです。

その時、持統天皇が博麻に送った言葉が残っています。

朕嘉厥尊朝愛国 売己顕忠
朕、厥の朝を尊び国を愛いて、己を売りて忠を顕すことを嘉す
私は、あなたが朝廷を尊び、国を愛し、おのれを売ってまで真心を尽くしたことを喜び、感謝します。

「愛国」という国を思う言葉は、日本の歴史上この持統天皇の言葉が最初だそうです。今から1300年あまり前に、すでにこんな生き方をしていた人がいることに、私は感動を覚えました。皆さんはどうですか?

 

今、中学生は期末テストの準備期間です。いくらテストがあるからといっても、ゲームと勉強どちらが楽しいかといったら、そりゃゲームが楽しいに決まっていますよね。

でもここで少しだけ考えてみてください。ゲームをしていれば、自分は笑顔になれます。しかしお母さんはどうでしょうか? 残念ながら笑顔にはなれませんね。最後にはケンカになったりします。自分の笑顔だけを考えていたら、結局笑顔は続かなくなるのです。

期末テストが終わるまでは、「1日30分でゲームは切り上げる」とか、いっそのこと「お母さん、ゲーム預かっといて!」なんて宣言したら、お母さんも笑顔になれるでしょうし、テストが終わってから少しぐらいゲームに夢中になっても、お母さんも許してくれるんじゃないでしょうか。

少しだけ自分の笑顔を我慢することで、周りが笑顔になり、最後は自分も笑顔になれるのです。博麻のように「愛国」とまではいかなくても「愛家族」や「愛おかあさん」ぐらいの気持ちを持ってみてはどうでしょうか。きっとその方が自分の笑顔が多くなるのだと私は思います。

(博麻についての記述は服部剛著「感動の日本史」から引用してます)

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