学びの広場 育心   枚方 塾 中宮中 第一中 学習塾 進学塾

育心は子どもの成長を全力で応援する枚方の塾です。

TEL.072-898-8174

〒573-1195 大阪府枚方市中宮東之町11-6福田ビル3F

育心タイムズ
塾通信「育心タイムズ」の最初の記事をご紹介しています。
「心の成長」を願って書いているものです。
ご感想をお寄せください。

子ども達に語り聞かせています

教室の魔法<育心タイムズ114号>

114号(2017年11月16日発行)

私が大好きな先生がいます。香葉村真由美さん。現在福岡県の小学校の先生をしておられます。上は9年前、私が初めて香葉村さんの講演を聴いたとき、あまりの感動に声を出して泣きそうになるのを、口を押さえて我慢している私の写真です。今も主催者のブログにそのまま残っています。このとき以来、私は香葉村さんの大ファンです。今年8月、彼女の初めての本が出版されました。「子どもたちの光るこえ」という本です。その本から、今日は「教室の魔法」という一節を皆さんに紹介します。

----
教室には、子どもたちだけが使える魔法があります。それは、友だちの心を開くという魔法です。いまから13年前のこと。担任していた6年3組には、口のきけないさっちゃんという女の子がいました。さっちゃんはおばあちゃんと二人暮らしでした。

さっちゃんが6歳のとき、ご両親はさっちゃんをおばあちゃんに預けて蒸発してしまいました。さっちゃんはそのときのショックから、おばあちゃん以外の人とは話ができなくなったのです。

新しいクラスが始まりました。やっぱりさっちゃんは一人でした。誰に話しかけるわけでもなく、誰からも話しかけられませんでした。さっちゃんはまるで、存在していないかのようでした。私はさっちゃんに尋ねました。
「さっちゃんが話せなくなった理由をみんなにわかってもらいたいんだ。だからみんなに話をしようと思う。いい?」
さっちゃんは、私をしっかり見つめてうなずきました。

小さいときにお父さんとお母さんが突然いなくなってしまったこと。さっちゃんはそのことでとても傷ついたということ。深く傷ついて、こえを出せなくなってしまう「失語症」という病気があるということ。さっちゃんのおばあちゃんは、そんなさっちゃんが大切で、必死で守っておられるということ。

話している間ずっと、教室は沈黙に満ちていました。私は続けました。
「さっちゃんがこのまま一言も話せないでこの学校を卒業していくのは、先生、いやだと思ってる。だからね、みんなにもさっちゃんがどうしたら話せるようになるのか、一緒に考えてほしい」

次の日、子どもたちが考えたアイデアに私は少し驚かされました。彼らはペンとメモをさっちゃんに渡し、そこに自分の気持ちを書いてもらうことにしたのでした。さっちゃんに話をさせようとするのではなく、自分たちがさっちゃんの気持ちを理解しようと考えたのです。

誰かを変えようとするとき、大人はその人を変えよう変えようとしてしまいます。けれども子どもたちは、お話ができないさっちゃんを、そのまま丸ごと、受け止めたのです。

〝そのままでいいよ、さっちゃん。さっちゃんがお話をしないなら、ぼくたちがさっちゃんのこえなきこえを聞こう″これにはすごいなあと思いました。

次の日、ある子の机の上に、さっちゃんのメモが貼られていました。そこには「おはよう」と書かれていました。朝、そのメモを貼られた子どもがさっちゃんのメモに気がつきます。それを見てその子がさっちゃんのところへ走っていき、「さっちゃん。おはよう!」と言いました。

さっちゃんはにっこり笑いました。さっちゃんがはじめてお友だちと話をした瞬間です。私はその光景を見て涙があふれて止まりませんでした。さっちゃんの心が開いた。こえには出さなかったけれど、さっちゃんはどれだけ嬉しかったことでしょう。自分のこえが届いて、お友だちと話すことができた。お友だちと笑い合えた。

私はこのとき、友だちと笑い合えることは当たり前のことではないのだということを、子どもたちから教えてもらいました。お友だちと笑い合えるためには、心が開くことが大切なのです。私はこの瞬間二人の子どものところへ走っていき、思わず二人を抱きしめました。たまらなく愛しかったのです。

それから、さっちゃんのメモは増えていきます。さっちゃんはそれから、毎日メモに一言を書き、全員の子どもたちの机の上に貼っていくようになりました。

3学期が終わりに近づいた頃、さっちゃんがなぜか学校に来なくなりました。しかし、私が気がつくよりも前に、子どもたちはその原因に気づいていました。子どもたちは教えてくれました。
「卒業式の練習が始まったからだよ。名前呼ばれたら、返事せんといかんけん」
そしてこうも言いました。
「先生、勉強やめよう。さっちゃんがどうやったら学校に来るか、みんなで考えよう」
話し合いの末、子どもたちが出した結論に、私はまた驚かされることになります。
「さっちゃんが来られないなら、ぼくたちが行こう。さっちゃんに卒業式のやり方を教えよう」

それから子どもたちは、いくつかのグループに分かれて、何度もさっちゃんの家に行ってくれました。歌を教えるグループ、卒業証書の受け取り方を教えるグループ、どの子どももさっちゃんのために、一生懸命でした。

卒業式の当日。みんなが門のところで待っていると、さっちゃんがしっかりとした足取りでおばあちゃんと一緒にやってきました。

とはいえ、いざ卒業式が始まると私の胸には不安がよぎります。さっちゃんは、練習を重ねたほかのクラスメートと同じようにできるのだろうか。

ふと見ると、そんな私の心配に気づきもしない様子で、さっちゃんはみんなが起立するところで立ち、お辞儀をするところで頭を下げ、みんなが歌うところで(たぶんロパクですが)歌っていました。クラスの子どもたちが教えてくれたからです。私はその光景に感動していました。

そして卒業証書授与。さっちゃんがステージの上に上がってきました。

「さちこさん」

と私が名前を呼んだそのとき、小さい小さいこえでしたが、はっきり聞こえた2文字。

「はい」

さっちゃんのこえです。さっちゃんがこえを出してくれたのです。
はじめて聞いたさっちゃんのこえでした。体育館中がしーんとなりました。

私のクラスの子どもたちが、ポロポロと泣き出しました。さっちゃんのおばあちゃんは両手で顔を覆い、ワンワン泣いていました。見ると、さっちゃんも泣いていました。

お父さんとお母さんがいっペんにいなくなってしまい、悲しい思いをしたさっちゃん。彼女は、こえを出さないことできっと自分を守ってきたのでしょう。でも、そんなさっちゃんが心の扉を開いたのは、たとえどんなことがあってもさっちゃんのことを信じたおばあちゃんと、クラスの子どもたちの力です。信じるという子どもたちの愛情が、さっちゃんの心の扉を開けてくれました。

人は愛でしか変わらないんだということをこのとき教えてくれた子どもたちを、私はいまでも、
心の底から尊敬しています。

未来のためにまく種

私が担任として子どもたちと一緒にいられるのは、長い人生のうちの、わずか1年か2年にすぎません。教師はそんな短い時間でいったい何を教えられるというのか。

きっとそれは〝教える〟というより、その子の中の光に向けて、光を信じて、〝伝える〟ことなのかもしれません。
(引用ココまで)----

私はさっちゃんの頑張りだけでなく、このクラスの子ども達にも拍手を贈りたいです。さっちゃんを支えたのはこのクラスの子ども達の愛情です。そして私の想像ですが、「こうすればいいんじゃないかな~」ってことを勇気を持って言ったり行動してくれる子が、このクラスにいたのです。最初に行動を起こすには、やっぱり勇気がいります。その勇気を生み出す雰囲気もこのクラスは持っていたのでしょう。皆さんも、ちょっとした勇気を持つことで、学校のクラスが大きく変わることがあることを知っておいてくださいね。

「愛でしか人は変わらんとよ」は香葉村さんの口癖です。信念と言ってもいいと思います。彼女の本から私は、同じように子ども達の前に立つ人間として、いろいろなことを学びました。愛情いっぱいで子ども達を育てている彼女の姿は、お父さんお母さんの心にもきっと届くと思います。ぜひ一度手にとってお読みください。

これって不幸でしょうか?

112号(2017年5月18日発行)

名言セラピストとして著名な ひすいこたろう さんの講演を聴きました。その中で、彼は私たちにこう問いかけるのです。

「毎日毎日、勉強ばっかりやらされる子どもは不幸でしょうか?」
「毎日毎日、やりたくない仕事をやらされるサラリーマンは不幸でしょうか?」

私は当然「そりゃ不幸やわ~」と思いました。

これは、2つとも自分のことなんです。そう ひすいこたろう さんは話し始めました。

小さい頃、父親がとても厳しくて、とにかく勉強させられたそうです。日曜日は8時間は勉強しないといけなかった。そして、友達ともあんまり遊ぶことができなかったので、人と話すのが苦手な内向的な子どもとして育っていきます。大学生になってもそれは同じでしたから、面接試験が主流の就職活動なんてできるはずはありません。ある日、親しい友達が、この会社だったら、絶対採用してくれるよっていうので、その会社に受けに行くと、社長さんと会ったとたんに、「君ココで働くか?」と聞かれて「はい。」 これで就職が決まったのですが、実は会社のことなんか何にも調べていないし、どんな仕事をするのかも聞いていないのです。

その会社が彼に与えた仕事は「営業」。その会社の商品を売るために、他のいろいろな会社に行って宣伝をして商品を買ってもらう仕事です。ひすいさんの一番苦手な人と対面しなければいけない仕事です。毎日毎日やりたくない仕事をやらされることになるのです。営業成績も当然ビリ。

ここまで聞いて、私は「やっぱり不幸じゃん」って思っていました。

あるとき、営業先が雑誌でいろいろな商品を通信販売をする通販の会社だったので、どんな商品が売れているのか聞いたそうです。そうすると、雑誌のページによって、1ページで何百万円も売り上げるページもあれば、まったく売れないページもあることを教えてくれたそうです。どうも商品そのものより、言葉や文章に引きつけられているらしいのです。

ひすいさんは考えます。人と話をするのは苦手だけれど、文章を書くのは嫌じゃない。ならば、自分の会社の商品をアピールする文書を作って、それを毎日ファックスで送ろう。そうだ、そこに、人の心がほんわか温かくなるような話も付け加えておこう。そして訪問販売に行くときには、必ずその文書を持って、それを見てもらおう!

これをやり出してから、彼の営業成績はぐんぐん上がっていくのです。なぜならそのファックスに魅力があったからでしょう。

では、ひすいさんはなぜ文章を書くのが嫌じゃなかったのでしょうか? なぜそのファックにいろんな魅力のある話を付け加えることができたのでしょうか? それは、小さい頃厳しい父親によって毎日毎日、勉強させられたおかげで、文章を書くのが得意になっていたからです。そして、本を読むのも好きになっていたのです。だから、今まで読んできた本にはたくさん魅力のある話を見つけて線を引いてありました。

そうなんす。これは「毎日毎日、勉強ばっかりやらされてきた」おかげなのです。

ドイツの詩人ゲーテが一人の女性、シャルロッテに宛てたラブレターが残っています。その数なんと1800通。ビックリしますよね~ ゲーテがあれだけの世界的文豪と言われるようになったのは、この1800通ものラブレターのおかげじゃないかと考えたひすいさんは、このファックスによる営業を1801日続けよう!ゲーテを超えてやるぞ~! 結局書いたファックスは2000枚を越えました。 ひすいさんは言います。

「ゲーテが1800通のラブレターで世界的な文豪になったように、私は2000枚のファックスによって、今皆さんの前でお話ができる作家になれたんです。」

そうなんです。これは「毎日毎日、やりたくない仕事をやらされた」おかげなのです。

人生で起こることは、
すべて最高なのだ!

そんな講演でした。ひすいこたろうさんは

「毎日毎日、勉強ばっかりやらされた私は不幸でしょうか?」
「毎日毎日、やりたくない仕事をやらされた私は不幸でしょうか?」

不幸なんかじゃない。とっても幸せだったんだと言いたかったのですね。

人生は山あり谷ありとよく言いますが、私は谷の方が多いんじゃないかと思うときがあります。頑張っても頑張っても、なかなか思うようにならないものです。でも、自分の人生をふり返ると、谷ばかりではありません。山もちゃんとあります。そして、谷底で学んだことが次の山道を乗り越えさせてくれたこともあります。谷底で悲しい思いをしたからこそ、山頂に登ったときの喜びも一入(ひとしお)だったこともあります。

私の座右の銘(自分の心に留めおいて、戒(いまし)めや励ましとする言葉)は、船井幸雄さんの

必然必要ベストなことがら   です。

自分の目の前に起こることは、

今の自分に起こるべくして起こる(必然な)ことがら
今の自分に必要なことがら
今の自分にベストなことがら

という意味です。だから、目の前に楽しいことが起こっていれば素直に喜べばいい。そして、目の前に起こっていることが、どんなに辛いことであっても、それは私の人生において、必ず意味のあることだと考えて乗り越えていくことにしています。

皆さんも、今がしんどくても、それはきっと将来、自分の成功に役に立つのだと思って、頑張っていってくださいね。

心の天秤

111号(2017年3月6日発行)

(喜多川泰「秘密結社Ladybirdとぼくの6日間」から)

颯汰(そうた)は高校3年生、大学を受験するつもりで、夏休みは塾の夏期講習に参加した。でも実際のところ塾にも行かず、家でぐうたらしているばかり。その日も1分たりとも勉強はしていない。これではいけないと思いながら、また今日も終わっていく。

そんな夏休み、あることがきっかけでとんでもない1週間を過ごすことになります。そして颯汰はいろいろな出会いから、人生を学びます。颯汰が出会ったある中3生の卒業文集の作文をまず紹介します。

----
「ふさわしい人」  三年五組 二階堂肇

僕は、正月になると神社で毎年お願いしていることがある。それは、「僕は努力をする。だから、それにふさわしいものを与えてください」という言葉だ。

それ以上でも嫌だ。それ以下でも嫌だ。

自分の努力にふさわしいものが、自分の将来に手に入るそんな生き方をしたい。そして、それが与えられることを信じている。だから、僕はどこまでも、どこまでも頑張る人でいたい。

僕は、自分のやってきたことにふさわしい人になりたい。

----

普通、受験生は、自分の努力は棚に上げて結果を求めます。何かの間違いでもいいから受からないかなとか、奇跡が起こって合格できないかなと考えるものです。自分のやってきた努力に見合った結果を与えてくださいなんて念じる人はいません。そんなことしたら不合格になるのは自分自身が一番よく分かっています。

でも、二階堂肇は本気でそれを願っていました。自分がした努力以下の結果しか手に入らないのを嫌うのと同じように、努力以上の結果が手に入るのを嫌っていたのです。長い目で見て、それは自分の将来にマイナスでしかないと彼は分かっていました。

「心の中にいつも天秤を用意しておいて、片方の皿に、志望校合格とか、自分の手に入れたいものを置く。そうして、反対側の皿の上に、努力を積み重ねていく。そうすると、そのふたつが釣り合うときがやってくる。そのとき初めて自分の手に入れたいものが手に入る。」

ほとんどの中高生が、この天秤を用意していないから別のことを期待してしまいます。つまり、片方の皿に置いた手に入れたいものよりも、ずっと小さい努力しか反対の皿に乗せていないのに、これで何とか、手に入らないかなぁって期待してしまうのです。あなたもそんな生き方をしていませんか?

そんな学びを得た颯汰は、中学生の時いつも県の水泳大会で負けていた風太と出会い久しぶりにレースをします。万年2位の颯汰は、高校では水泳部には入っていなかったのです。

風太「全然体力がないのに、よく勝負しろって言うよ。でも、最初の25mは速かったな。正直焦った」

颯汰「まあ、お前に対する礼儀だ。俺、中学のときレースで本気出したことなかったから。まあ、本気出したら勝てたって意味じゃないぜ。そうじゃなく、本気を出しても負けたんだけど、それでも、本気を出さなかったのはお前に対して失礼だったと思ってな。だから、今日のは本気だった……本気でやって、負けた。それを言いたかった」

風太「そうだな。お前いつも本気じゃなかったような気がするよ。だから、俺はレースでお前を見ると、いつも恐かった」

颯汰「恐い?」

風太「ああ。お前はどう見てもセンスの塊みたいな奴だ。俺とは違う。俺は努力で少しずつ成長してあそこまで行った。俺はお前の泳ぎを見ていつも羨ましいと思っていたんだ。俺にあんなセンスがあったら、県だけじゃない。全国でだって勝てるんじゃないかって。だから、レースで会うたびに、お前が本気で練習を積んできてたらどうしよう。今度こそは、『打倒俺』に燃えてきたんじゃないかって、思ってスタート台に立ってたのさ」

颯汰「いらぬ心配だな。そんな根性なかったよ。つらいことから逃げるの専門だもん俺」

風太「それが言える奴は強いよ。みんなそれをごまかして生きてるからな」

颯汰「初めて言った。今までごまかして生きてきたからな。でも、もうやめるわ。逃げるの。だって、かっこわるいもん。負けてもいいから本気でやろうと思う」

目の前のことに、全力で取り組むこと、それ以外に自分の人生を切り拓く方法はないように思いました。でも、そんな生き方は、大人でも難しいものです。逃げることもあるでしょう。

でも、いつもいつも逃げるのではなく、全力でぶちあたる、そういう日々が自分を成長させることを、皆さんにも知ってほしいと私は強く思っています。保護者の皆さんや中学生にはぜひ読んでほしい一冊でした。

「笑顔のために」

%e7%ac%91%e9%a1%94%ef%bc%88%e5%ae%b6%e6%97%8f%ef%bc%89

109号(2016年11月18日発行)

人は何のために生きているのでしょうか?

とても大きな質問ですが、皆さんはどう答えますか?

・いい生活をするために

・お金をもうけるために

・スポーツがしたいから

・ゲーム毎日したいから

・将来、外国に住みたいから

・いい車に乗りたいから

・いい家に住みたいから

・旅行に行きたいから

あなたの答えがあったでしょうか?

 

私の答えは「笑顔」のために生きているです。

自分がいつも「笑顔」でいたいと思っているのです。だからそのために頑張って生きています。働いていると言ってもいいでしょう。ただ、人間は一人では生きていけません。いつも私のまわりには、人がいます。まず家族がいます。そして塾に来れば生徒がいます。だから家族が悲しんでいたり、塾生が寂しそうな顔をしていたら、私は「笑顔」にはなれません。

そう考えると、私自身は自分の笑顔のために、独りよがりに生きることはできないのです。家族や塾生の「笑顔」があって、初めて私の「笑顔」があるのです。自分のまわりの「笑顔」が地域社会の「笑顔」につながり、日本の「笑顔」、世界の「笑顔」につながっていけば、平和な世の中になるのでは、と考えています。

だからまずは、自分のまわりが「笑顔」になるような生き方をしたいと思っています。といっても、なかなかうまくできず、独りよがりになりそうな自分を、なにやってんだと叱りながら反省して生きていると言った方がいいかもしれません。

さて、最近読んだ本に、大伴部博麻という飛鳥時代を生きた人の物語がありました。

中学校の歴史の教科書に「朝鮮半島では、唐が新羅と結んで、百済をほろぼしました。663年、日本は百済の復興を助けるため大軍を送りましたが、唐と新羅の連合軍に敗れました」とあります。この「白村江の戦い」に一兵士として参加した博麻は、唐の捕虜になってしまいます。捕虜として唐の都長安に送られた博麻は、ここで日本に帰れなくなった遣唐使4人とともに、抑留生活をおくります。捕虜とはいうものの町を往来することはできたようです。

664年のある日、博麻は聞き捨てならない話を耳にしました。唐が近く日本への侵略を企てているというのです。白村江の戦いで、大陸の戦争の流儀(敵兵だけでなく、女や子どもも容赦なく、惨殺し、すべてを焼き尽くす)を目の当たりにした博麻は思い描きます。

「おそらく、最初の上陸地になる可能性が最も高いところは、わが故郷筑紫国だろう。あの美しい山河が蹂躙され、わが家族、一族、同胞たちが惨たらしく殺されることなど、絶対に容認できるわけがないではないか」

そして「なんとしても、一刻も早く国に知らせなければならない。このままではわが国が滅ぼされてしまう!」と思うのです。そして博麻はここに一大決心をして、4人のもと遣唐使に奇抜な計画を提案します。

 

「私も皆さんも、ともに国に帰還することを願っておりましたが、資金がないためにそれもかないません。どうかお願いでございます。私の身を奴隷として売って、これを帰国の資金とし、国の危機を日本に知らせてください。」

 

博麻が取った行動は、自分の笑顔を犠牲にしてまでも、家族の笑顔・まわりの人々の笑顔を優先したものです。戦いという前提があるにせよ、なかなかできるものではありません。

4人のもと遣唐使は博麻の申し出に驚き、かつ彼の行く末を思うと不憫でなりません。しかし、ほかに方法がないのです。苦渋の決断の末、博麻を売ったお金を旅費として日本への帰国の旅に出ました。『日本書紀』によると664年~671年の間に順次日本に帰ってきたようです。そして朝廷に唐が日本侵略の準備をしていることを報告したのでした。

天智天皇はすでに九州北部に水城や山城を構築して臨戦態勢をとっていましたが、讃岐の屋島や河内、大和にも城を築いて防衛を固めたといいます。結局、唐は新羅とも交戦状態になり、日本には攻めてこなかったのですが、当時の大陸との関係が天皇を中心にした中央集権国家の確立に向けて国づくりが進む大きな原動力になっていたようです。

さて、年月が流れ持統天皇の時代になります。690年日本にやってきた新羅の舟から、一人の初老の男が唐僧に伴われて上陸しました。どうやら、この初老を迎えた農奴が日本人だと知った唐僧が、使節として日本に赴くことになったので、一緒に行こうと連れてきてくれたようです。

唐軍にとらわれて何と27年、博麻が日本に帰ってきたのです。

その時、持統天皇が博麻に送った言葉が残っています。

朕嘉厥尊朝愛国 売己顕忠
朕、厥の朝を尊び国を愛いて、己を売りて忠を顕すことを嘉す
私は、あなたが朝廷を尊び、国を愛し、おのれを売ってまで真心を尽くしたことを喜び、感謝します。

「愛国」という国を思う言葉は、日本の歴史上この持統天皇の言葉が最初だそうです。今から1300年あまり前に、すでにこんな生き方をしていた人がいることに、私は感動を覚えました。皆さんはどうですか?

 

今、中学生は期末テストの準備期間です。いくらテストがあるからといっても、ゲームと勉強どちらが楽しいかといったら、そりゃゲームが楽しいに決まっていますよね。

でもここで少しだけ考えてみてください。ゲームをしていれば、自分は笑顔になれます。しかしお母さんはどうでしょうか? 残念ながら笑顔にはなれませんね。最後にはケンカになったりします。自分の笑顔だけを考えていたら、結局笑顔は続かなくなるのです。

期末テストが終わるまでは、「1日30分でゲームは切り上げる」とか、いっそのこと「お母さん、ゲーム預かっといて!」なんて宣言したら、お母さんも笑顔になれるでしょうし、テストが終わってから少しぐらいゲームに夢中になっても、お母さんも許してくれるんじゃないでしょうか。

少しだけ自分の笑顔を我慢することで、周りが笑顔になり、最後は自分も笑顔になれるのです。博麻のように「愛国」とまではいかなくても「愛家族」や「愛おかあさん」ぐらいの気持ちを持ってみてはどうでしょうか。きっとその方が自分の笑顔が多くなるのだと私は思います。

(博麻についての記述は服部剛著「感動の日本史」から引用してます)

%e6%8c%81%e7%b5%b1%e5%a4%a9%e7%9a%87

水と岩、どちらが強い?

川の水

107号(2016年5月16日発行)

「穴のあいた桶」(ブレム・ラワット著)という本の中に、素敵な文章がありましたので、ご紹介します。

----
水の力

川は流れます。力強く、柔軟に。
川の水は、どちらに進むべきかと尋ねたりはしません。
自分がもっとも流れやすい方向へと流れていきます。
途中で岩にぶつかることもあります。
岩は言います。「私たちは動かない。お前のほうが動け」
「いいですよ。私が向きを変えましょう」と水が答えます。
岩は勝ったと思うでしょう。でも岩は、川の水の本当の力には気づいていません。

水の力、それはあきらめないことです。水は、ゆっくりと着実に岩をけずっていきます。
長い長い時を経て、ふと気がつくと岩のほうが動いている。
かつて岩があった場所を水が流れているのです。さて、最後に勝ったのはどちらでしょうか?

大きな渓谷を見ると、水の力を実感します。一途に、あきらめずに続けることで
岩をけずり、もともと流れたいと思っていた場所を流れている。
決して動くことはないと思った岩が降参し、道を譲っている。
水はその力で、強固な岩さえ砕き、砂に変えてしまったのです。
-----

この文章の水からは、いろいろなことが学べます。
まず、「あきらめないこと」です。自分かやりたいと思ったことは、コツコツ続けること。確かに、やってもやってもなかなか思うようにはいかないこともあります。でも実は少しずつ少しずつですが進歩しているのです。川の水が小石を流すのは簡単だとしても、大きな岩を流すことはできません。不可能に見えます。でも少しずつ少しずつ削って、岩の形はだんだん変わっていくものです。あきらめない限り進歩です。

次に、「流れやすい方向へ流れる」です。大きな岩にあたったときでも、水は流れることをやめません。まずは流れやすい方向に流れるのです。あなたの目の前に自分の力ではどうすることもできないことが現れることはよくあります。例えば4月のクラス替え。親しい友だちと別れてしまったとか、担任の先生があんまり好きじゃない、なんてことはよくあることです。そんなときは、イヤだイヤだとだだをこねていてもどうしようもないのです。しかたない、このクラスでがんばろうと思う、それが流れやすい方向に流れるということなのです。その中であなたのできることをしていくのです。クラスのために、小さな力を使うのです。徐々に徐々に目の前の大きな岩(クラス)が変わっていくでしょう。

壁にぶち当たっても自分の力を信じて、努力をしていきましょうね。きっといいことが待っています。

「わかる」と「できる」

106号(2016年2月23日発行)

先生

今日は、私の授業に対する考え方の変化をお話しします。

私は「物事をいかに分かりやすく教えるか」ということをずっと追いかけてきました。大学時代に浜学園という塾でアルバイトを始めた時から、ずっとです。その塾では講師は3軍に別れていました。プロ野球と同じです。1軍の講師は授業を担当します。2軍の講師は準講師と呼ばれ、テスト監督を担当します。毎回の授業の後に行われる復習テストの監督をして、最後に少しだけテスト問題の解説授業をします。この解説授業をしながら、授業力を高めて、1軍の講師をめざします。3軍は準講師をめざして研修中の予備軍です。

授業がうまくならないと、決して授業は担当できないしくみがそこにはありました。ですから、徹底的に上手な授業ができるよう自分を磨きました。教科の内容を理解する力はもちろんですが、生徒を納得させるだけの話術や、何が重要かを際立たせるための板書能力など、「分かりやすい授業」を身につけるためのあらゆる努力をしてきました。平成7年に浜学園を退職して、育心を立ち上げてからも、その気持ちは変わりません。ずっとずっと、「分かりやすい授業」を追求してきたのです。

ところが最近「分かりやすい授業」だけではダメだという衝撃的な事実に気がついたのです。

昨年の6月から数学の授業を育心LIVEに変えてきました。もちろん育心ライブに収録しているものは私自身の徹底した「分かりやすい授業」です。こだわりを持って授業し、撮影しています。ホーム―ページやFacebookで公開している動画を見て、塾仲間の先生が「大谷先生の授業は分かりやすくて学ぶことが多いです」とよく言ってくれます。私は、これを生徒が自分のペースに合わせて見てくれれば、絶対実力がつくと思っていました。確かに子ども達の数学の実力が確実に上がってきているのを私は実感しています。ところがです。その実力が上がっているのは、どうやら私の「分かりやすい授業」だけが原因ではないようなのです。

育心LIVEでは、5分から最長でも10分程度の私の解説授業を見た後、自分で演習問題を解くシステムになっています。この演習問題がすんなり解けない時があります。子ども達が「あれっ」と思う瞬間です。私の授業動画を見たときは「なるほど」と思っているのですが、いざ自分でやってみるとできないのです。この「わかる」と「できる」の違いを子ども達がしっかり理解して、「できる」状態を作り上げないと残念ながら実力はつかないのです。

演習問題をやっている姿は子どもによってさまざまです。手が出なくなってうんうんうなっている子もいます。答えを見て適当に直している子もいます。この子達はまだまだ勉強の仕方が分かっていないので、その都度注意していきます。

自分で解けないなあ~と思った時、動画で見た例題のノートを見直している子もいれば、動画を再度見にいく子もいます。答えを見て間違っていたら、なぜ間違ったのか徹底的に分析している子もいますし、どうしても分からない時に、「先生この解説のここが分かりません」と言ってくる子もいます。この子達は確実に伸びていきます。

実は子ども達は、私の授業を聞いて力をつけているのではなく、この演習問題を解く瞬間に力をつけているのです。この演習時間での勉強の仕方やその問題点は子ども達一人ひとり異なります。またその問題点を家で自分で解決できる子はほとんどいません。そこをサポートするのが私の大きな役割になっています。今までの集合授業と家庭学習の組み合わせだけでは、乗り越えられなかった部分が、今の育心LIVEを使った授業、特に演習問題を解いている時に解決できるようになったのです。

「分かりやすい授業」が悪いわけではもちろんないのですが、「分かりやすい授業」だけではダメなのです。演習を組み合わせて子ども達自身が「できる」ようにならなければ意味がなかったのです。

新しい育心が出発しました。

祭りの役割

にほんよいくに

105号(2016年1月13日発行)

「にほんよいくに」という本を友人に紹介してもらいました。小学生低学年でも読める部分と、そのお話に潜む深い意味合いを解説した部分があります。 ご家族で読んでほしいなあ~と思う本でしたので、ご紹介します。

----
海のさち、山のさち、野のさち

むかしのおはなし。
日本の国の人びとは、おもいおもいに、くらしていました。
海の近く、野原、山の中、
いろんなところに、人がすんでいたのです。
ある日、海の近くにすむ人が、つぶやきました。
「毎日、毎日、魚ばかり食べていて、あきてしまったよ」
それを聞きつけて、野原で生活している人が言いました。
「それならわたしがつくったお米ややさいを、あなたの魚と、とりかえっこしてください」
「まった、まった。わたしのところは、木のみやキノコがとれるんだ」
山でくらす人も、くわわります。
「じゃあ、みんなで食べものをもちよって、こうかんしようじゃないか」
「それがいい」
山や、野や、海岸にすむ人たちは、さっそくそれぞれの家から、
いろんな食べものをもちよって、あつまりました。
「いやぁ、どれもごちそうばかりだ」「おいしそう」
目の前には、山のさち、野のさち、海のさちがどっさりならべられます。
「さぁ、見ているだけじゃなくて、ひとロあじわっておくれよ。うちの、じまんのごはんだよ」
「それは、わたしのところも、おんなじだ」
「それなら、いっしょに」「いただきます」
みんなはなかよく、食べたり、おどったり、わらったり、しゃべったり、大さわぎ。
とっても楽しくて、あっというまに、時間がたってしまいました。
やがて、夕日がかがやきはじめました。
そろそろ、家に帰らなくてはなりません。
みんなは、帰りじたくをはじめて、ロぐちに言いました。
「きょうは、ありがとう」「いやぁ、こっちこそ。楽しかった」
「また、つぎも、いっしょにごはんを食べましょう」「だいさんせい!」
「それじゃ、また」「さようなら」
「さようなら。またね」
みんなおなかがいっぱい。えがおもいっぱい。
はしゃぎすぎて、ちょっとつかれていたけれど、
しあわせな気持ちで、家路につきました。

祭り
おうちの方へ

争わない生活

縄文時代、日本列島にはいろいろな氏族が住んでいて、山に住む氏族、野に住む氏族、川の近くに住む氏族、海の近くで生活する氏族などたくさんおりました。海の近くに住む人は、海のものは豊富にあるのだけれど、山の幸はない。逆に山に住む人は、山の恵みは多く受けていても、海の魚は口にできません。
けれど人間は、いろんなものをまんべんなく食べないと、健康にはなれません。そのために、あちこちに住む氏族が、お互いに食物を交換し合って、みんなが平等に食物が食べられるようにしました。その役割の一つを神社が果たしていたように思うのです。

祭の役割

神社のお祭には海、山、野のそれぞれの幸を、神様にお供えします。今なら、ちょっとスーパーに行ってくれば、なんでもたくさんそろいます。しかし昔はそうはいきません。海のない山や野で、海の魚をお供えすることは難しかったはずです。

ですが海のない地方の神社でも、古くから鯛(たい)などの魚がお供えものに上がっていました。おそらく海でとれたものが運ばれてきているのでしょう。海の近くに住む人々が、海から遠いところの神社を崇敬(すうけい)してきたから、御神前(ごしんぜん)に上がったのだと思います。海の近くに住む氏族と、海から遠い野や山の氏族とが争っていたら、海の魚は手に入りませんから、昔からつながりがあったことがわかります。

また全国に、一の宮、二の宮、三の宮という場所があります。これは、それぞれの氏族が祀(まつ)っている産土神様(うぶすながみさま)や氏神様(うじがみさま)のほかに、あたり一帯を治める神様をお祀りしたことの名残です。いちばん大きな神社を一の宮、次を二の宮、三の宮といい、地域みんなの神様という感覚でしょう。いろいろな氏族が心を一つにして崇敬する神社を創建(そうけん)し、お祭りのときには、自分のところの特産物を持ち寄って神様にお供えしました。うず高く積み上げられたお供えものの様子は、神職の唱える祝詞(のりと)に、決まり文句のように出てきます。

そしてお祭りが終わったあと、お供え物を下げてきて、その場の全員でいただくのが「直会(なおらい)」という行事です。お祭りに直会はつきものでして、共に食事をとってお互いの交流を図ったのです。これはすばらしい知恵だと思います。

日本人は、もともとは争わない民族です。日本列島は、環境には恵まれていますが、土地は狭い。そこに人々は住み続けてきました。こんな狭いところでケンカばかりしていたり、自分のやりたいことばかりやっていたら生きていけませんから、共通の神様をお祀りして争わず、共生するというすごい発想を日本人は持っていたのです。
-----

(私の感想)
山の人と海の人の生活のようすは、当然違います。でも、「あんな生活はおかしい」と日本人は決して言わなかったようです。それぞれの生活や神様を認め合って尊敬しあってきたのです。言ってみれば、違いを認めることができる民族です。自分と人は違ってていいんです。だから、自分には自信を持って、生きていきましょう。そして、人のことも、それぞれの個性を認め合って、友だち付き合いしていきましょうね。そうすれば、きっと楽しく暮らせるはずですね。

世界では、宗教の違い、宗派の違い、民族の違いからいつも戦争が起こっています。とても残念でなりません。私たちは、これからも共に仲良く生きていく日本人でありたいですね。

台湾で神様になった日本の青年

104号(2015年11月25日発行)

飛虎将軍廟

台湾南部の台南の町に、飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびよう)という、道教のお寺があります。「飛虎将軍」と地元の人々に慕われ、神様として祀られているのは、茨城県水戸市出身の杉浦茂峰(しげみね)さんです。
日本では無名の一青年が、台湾で神様になったわけをお話ししましょう。

昭和20(1945)年まで台湾は日本でしたから、先の大戦では、台湾にも米軍機がたびたび来襲しました。そのたびに、日本軍のパイロットたちもゼロ戦に乗って応戦しましたが、日米の戦力の差は大きく、しだいに日本軍は追い込まれていきます。

ある日、ゼロ戦が一機、アメリカのグラマンに撃たれました。ゼロ戦の損傷は激しく、地上から見ていても、墜落は免れないように思えました。けれども、搭乗機が撃たれただけで、パイロットは無事です。ここでパラシュートを開いて飛行機から脱出すれば、パイロットの命は助かるでしょう。

ところが、そのパイロットが脱出を試みることはありませんでした。撃たれた飛行機を操縦することは、とても困難なことだと思いますが、彼は、操縦桿を懸命に操作し、機首を上に向けました。

実は、ゼロ戦が撃たれたのは、集落の上空だったのです。当時の台湾の民家のほとんどは、屋根が藁葺きだったので、もし飛行機が墜落したら、あっという間に火災が広がり、多くの犠牲者が出るでしょう。彼は、それを何としても防ぎたかったのです。

パイロットの命がけの操縦で、ゼロ戦は、民家に墜落することは避けられました。
「ここまでくれば大丈夫」と、パイロットがようやく脱出を試みたそのとき……。撃たれた飛行機の逃げ足は遅く、追いついた敵機から放たれた銃弾が、今開いたばかりのパラシュートを射抜いたのです。

パイロットは地面にたたきつけられ、即死でした。
「あの人が、身を挺して私たちを守ってくれたんだ」
一部始終を地上から見ていた台湾の人々が現場に駆けつけ、遺留品から、パイロットの名を知ることとなります。

「杉浦茂峰」……命の恩人を、台湾の人々は決して忘れませんでした。そして、その恩に、最大級の感謝で応えたのです。彼を神様として祀り、朝は「君が代」、夕方になると「海ゆかば」を毎日歌い、杉浦さんの御霊を慰めてくれています。戦後70年経った今も、です。

以下は、私(白駒さん)が飛虎将軍廟について、数十人の小学生の前で話したときのことです。
ほとんどの子が目を真っ赤にし、教室の片隅からは、すすり泣く声が聞こえてきました。そんな中、ある一人の男の子の泣き方が、ちょっと普通ではなかったので、気になって、声を掛けたんです。

泣きながら、途切れ途切れではありましたが、彼は正直な気持ちを打ち明けてくれました。
「僕は杉浦さんの話を聞いて、とても感動しました。でも、もし僕が杉浦さんの立場なら、自分を犠牲にして誰かを助けるなんて、きっとできなかったと思います。感動はしたけど、僕は杉浦さんのようには行動できません。僕は自分が情けないです」

私は、目の前の男の子が愛おしくてたまらなくなりました。抱きしめたくなるのをぐっとこらえ、こう伝えました。
「同じことなんて、できなくていいんだよ。今は時代が違うんだもん。杉浦さんの時代とは、背負っているものが違うんだから、誰かのために自分が死ぬなんて、考えなくていいの。

でもね、君は杉浦さんの話を知って、こういう生き方が〝美しい″と思ったんだよね? その気持ちが大切なんだよ。同じ話を聞いても、中には、誰かを助けるために死ぬことを、〝犬死″と思う人もいるかもしれない。でも、君は杉浦さんに感動したんだよね?

何を美しいと感じるのか、そのセンサーを〝感性″と呼ぶんだけど、君の感性は、本当に素敵だよ。だからその感性を、これからも大切に大切に育てていってね」

このような自己犠牲の精神を、美しいもの、尊いものとする日本人の感性は、昔も今も変わらないのではないでしょうか。日本人が歴史の中で育んできた美意識が、確かに現代に受け継がれている……。そのことを、泣きじゃくった小学生の姿が証明しているような気がしました。

時代が変われば、美意識をどう表現するか、その表面に表れる部分は、当然変わってくるでしょう。でも、何をもって「美しい」と感じるのか、その基準は、実は変わっていないのかもしれません。その美意識が継承されるかぎり、きっとこの国は大丈夫だと思います。

この文章は、白駒妃登美さんの最新刊「子どもの心に火を灯す日本の偉人の物語」から引用ました。日本人のすばらしい生き方を「15の偉人の物語」として収められています。とても素敵な本です。まずお父さんやお母さんに読んでほしいです。そしてお子さんが読んだときに、一緒に物語の内容について話し合われたら、いい会話ができるんじゃないかと思います。お勧めします。

日本の偉人の物語

ひびのおしえ2

第103号(2015年6月22日発行)

ひびのおしえ

前回に引き続き福沢諭吉が明治4年に息子の一太郎(8歳)と捨次郎(6歳)のために書いた「ひびのおしえ」から紹介します。第二編の冒頭です。

----

おさだめ(六つの大切なこと)

だい一
天(てん)道(とう)さまを恐れ、これを敬(うやま)い、その心にしたがいなさい。ただしここでいう天道さまとは、太陽のことではありません。西洋のことばでは「ゴッド」といい、日本のことばにほんやくすれば、創(そう)造(ぞう)主(しゆ)(神)というものです。

だい二
父母を敬い、親しみ、その心にしたがいなさい。

だい三
人を殺してはいけません。獣(けもの)をむごくあつかったり、虫などをよく考えもしないで殺したりしてはいけません。

だい四
盗みをしてはいけません。人の落としたものを拾って、自分のものとしてはいけません。

だい五
本当でないことを言ってはいけません。人をだましたりして人の邪(じや)魔(ま)をしてはいけません。

だい六
貧(どん)欲(よく)であってはなりません。やたらに欲張って人のものを欲しがってはいけません。

 

天道さまのおきて

天道さまのおきてには、昔、昔、その昔より、今日の今にいたるまで、少しも間違いはありません。麦をまけば麦が生え、豆をまけば豆が生え、木の船は浮き土の船は沈む。きまりきっていることなので、人はこれを不思議とは思いません。ですから、今、良いことをすれば良い結果となり、悪いことをすれば悪い結果となる、これも、また天道さまのおきてです。昔の世から、今まで違ったということはありません。それなのに、天道知らずのばか者で、目の前の欲に迷って、天のおきてを恐れず、悪事をはたらいて、幸福をもとめようとする者がいます。これは、土の船に乗って、海を渡ろうとすることと同じです。こんなことで、天道さまがだまされるとでも思うのだろうか。悪事をはたらけば悪事が戻ってくるぞ。壁に耳あり、ふすまに目あり、悪事をして罪をのがれようとしてはいけません。

----

私はよく母親から「お天道様が見ているよ」と言われて育てられました。昔から日本には太陽を神のようにあがめ、すべてはお天道様が見ているという信仰があります。皆さんが現在どんなに辛い状況にあろうとも、皆さんの努力やよい行いは、どんなに小さなことでも、お天道様が見てくれています。そして、必ずその努力やよい行いに、将来、報いてくれるものです。

ひびのおしえ

第102号(2015年5月15日発行)

fukuzawa

「学問のすすめ」で有名な福沢諭吉が書いた「ひびのおしえ」を紹介します。これは明治4年に福沢諭吉が息子の一太郎(8歳)と捨次郎(6歳)のために、半紙四つ折りの帳面を用意して、毎日一つずつ書いて与えたものです。

----
10月14日 本を読む

本を読んで、はじめの方を忘れてしまうことは、底のない桶(おけ)に、水をくみ入れるようなものです。くむばかりで、少しも水が桶にたまりません。ですから、一太郎さんも捨次郎さんも、読んだ本のおさらいもしないで、はじめの方を忘れてしまった時には、読んだという苦労があるばかりで、学問が自分のためになるということはありませんから、気をつけなければいけません。

10月15日 ひどいことをしない

人は、虫を殺したり、獣(けもの)を苦しめたりなど、このようなひどいことを、してはいけません。このようなことをすると、いつかは、同じ人間に対しても、やさしさの心を失って、ひどいことをするようになるものです。慎(つつし)まなければいけません。

10月16日 子どもの独立

子どもといっても、いつまでも子どものままでいてはいけません。やがて成長して、一人前の大人になるのですから、小さい時から、なるたけ人の世話にならないように、自分で歯を磨き、顔を洗い、衣服も一人で着ること、くつ下も一人ではくように、そのほかすべて、自分でできることは、自分でするようにするのがよいのです。これを西洋の言葉で、インディペンデントといいます。インディペンデントとは、独立ということです。独立とは、独り立ちして、他人の世話にならないということです。

10月17日 人の心の違い

人の心が違うことは、人の顔がそれぞれ違うのと同じです。人の心は、誰も同じではありません。人には、丸い顔もあれば、長い顔もあります。その心もまた、それぞれの生まれつきで同じではありません。気の短かい人もいますし、気の長い人もいます。静かな人もいます。騒がしい人もいます。ですから、人の行うことを見て、必ずしも自分の気に入らないからといって、短気をおこしたり、怒ったりしてはいけません。できるだけ我慢をして、お互いに仲良くすることがよいのです。

10月18日 心の障害

目が見えない人や、耳の聞こえない人は、障害のある人です。一太郎さんも捨次郎さんも、生まれつき障害がなくて、幸せなことなのです。しかし、障害というのは、目や耳ばかりではありません。人の心にも障害はあるのです。たとえば、正しい道理を聞いてわからない人のことです。そんな人は、耳の聞こえない人にもおとる人なのです。また、本を見てその文が読めない人は、目の見えない人よりも、とるに足りない人なのです。ですから、目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりすることの障害は、恥ずかしいことではないのです。このような心の障害を持つ人こそ、本当に、恥ずかしいことなのです。
----

どうでしょうか。今の時代でも十分納得ができる教えばかりです。これを毎日半紙に書いて、子どもに渡し読ませたというのです。福沢諭吉の子どもへの愛情を感じます。この「ひびのおしえ」を授業を通じて、これからも紹介して味わっていこうと思っています。楽しみにしておいてください。

› more